学びとは?

違う目線で、、、
違う目線で、、、

こんにちは!さらに3週間が経ちました。そして今学期ものこり4週間になりました。今学期がこんなにも早く終わるように感じられるのがとても嬉しいです。ここ数週間を振り返るといくつか明記しておくべきことがあります。

まずはじめにグラフィックデザインのポートフォリオレビューをパスしたことです。これにより正式にChico Stateのグラフィックデザインのプログラムに登録することができ、約1年半で卒業することができる予定です。

自分のポートフォリオ作品
自分のポートフォリオ作品

今回計画通りにこのレビューをパスすることができたことには満足しています。しかしながら、このレビューを通して、自分の作品に決定的にかけていて、他の人の作品には見つけられた特徴がありました。自分で新しい作品を作るにあたってよく他の人デザイン作品をオンライン上で観察することがよくあります。優れた作品になればなるほど、ある共通点があることに気がつきました。それは作品の中に、デザイナーそれぞれの個性・独自性がみてとれるということです。

このデザイナー自身の独自性は、デザイナーそれぞれの幅広い実務経験からきているものであると気がつきました。

プロとして働いている人たちに比べれば、多少目劣りはしましたが、同じようなデザインの個性・独自性を他のクラスメートの作品の中に見つけることができました。レビューに参加した生徒の内、約半数は自分と同じようにChico Stateでクラスを取り、そのクラスで制作したプロジェクトをメインに展示していました。その一方でもう半数の人たちは、多かれ少なかれ、授業以外で制作された作品たちを展示していました。自分のスキルを磨き上げ、よりよい作品を作るために多くの時間を費やしていたことは、彼らの作品の細部までこだわっていたデザインを見れば本当に明らかでした。

純粋な芸術とはことなり、グラフィックデザインの目的は、2次元上のビジュアル要素を用いて、伝えたいメッセージをはっきりと伝えるところにあります。注意深く優れたデザインの作品を見ていけば、どれだけ論理的にそれぞれの要素が配置されていることが見て取れます。この論理的な思考と芸術的な観点がうまく合致した時に見られる美しさは、純な芸術と比較しても引けをとることはないと思います。

自分自身がデザイナーとして到達したいとことはここであると思います。自分の作品を通してストーリーを見た人に伝えたい。ここにたどり着きたいと思います。今はまだ完全に発展途上ですが、今回のレビューを通してここに気づけたことはとても大きいと思います。

次に、先週末に行われたハロウィンです。日本にいた時は、ハロウィンなんて普段と何も変わらない1日でしたが、ここチコでは、結構大きなイベントです。なんてったっていろんな人が!ドレスアップするから!いや本当にそれだけなんですが、いろいろと楽しかったです。

とりあえず写真をいくつかのっけて見てもらう方がてっとり早いのでそうさせていただきます。thedayofthedeadS__50331655IMG_2265 IMG_2272

さてそれでは今日の本題に入りたいと思います。

今日話したいことは、学びについてです。

私たち人類は、ホモサピエンスという種に区分され、霊長目の動物として、最大級の脳をもち優れた学習能力に恵まれています。急激な気候変動や地殻変動にされされてきた私たちの祖先にとってこの優れた学習能力こそ、その環境を生き延びてきた重要なファクターでした。

さてここで何が言いたいのかというと、人間は本能的に学ぶことができるということです。もちろん個人個人で学ぶペースや方法は多少異なることがあると思いますが、日々の生活から少しずつ新たなことを学んでいく私たちにとって、学びとは大きな役割を果たしています。

前に通っていた大学の先生にこのYouTubeのビデオが面白いと勧められ実際に見てみたのですがなかなか面白かったです。

タイトルは、「大学はどのように学ぶかを学ぶ場所。」というものです。

このビデオの中では、大学はどうやって学ぶかを学ぶところなんて馬鹿げていると主張しています。そして彼は、学びというものをシンプルないくつかのステップに分けて説明していました。

  1. 基本的な情報提供・収集
  2. 練習
  3. 実践
  4. 反省
  5. 外的な報酬
  6. 反復

非常に簡潔で、シンプルです。そうだとは思いませんか?自分自身これを見ていてとても納得していました。というのも、部活でハンドボールをしていたときもいまグラフィックデザインを勉強しているときも基本的にこの大まかなステップにそってできるようになるまで反復してきたからです。

これらいくつかのステップの中で、とても面白かったのが「外的な報酬を得る」という点でした。このビデオの製作者が述べていたように、周りを見ていると大抵の人が、自分の行ったことに対して、自分自身で報酬を与えていることが多いように感じたからです。彼は、この「外的な報酬」を自分自身では量や時間をコントロール・調整して与えることができないものと定義しました。つまり周りの人たちからの賞賛や、スポーツで言えば試合で相手に勝利するといったことでしょうか。確かに自己満足と周りから実際に賞賛を得ることでは、得られる学びの経験に大きな差があると思います。

前の方で述べた通り、自分にはいまこの現実世界で実際に働いて評価されるという経験が圧倒的に足りません。少しずつでいいからここをインターンなどを通じて進歩していきたいと思います。

ところで学びと言えば、真っ先に思い浮かべる福沢諭吉の名言があります。

彼の学問のすすめの中にはこのように書いてあります、、、

「天は人の上に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれんば柄に貴賎上下の差別なく、万物のレイたるみと心の働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥と沿いあるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれは智なし、智なき物は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるによりてできるものなり。

また世の中にはむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。その、むずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくて、手足を用うる力役はやすし。

身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ねればただその人に学問の力あるとなきによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。

福沢諭吉が「天」という言葉を用いていることから、彼がキリストを信じていたのか、もしくはただ単に西洋書を翻訳する上で必要なものとして取り出したのかはわかりませんが、彼の提唱した考えは、とても自然に説得力があり、魅力的であると思います。

賢人と愚人との差は、その人に学んで得た生きる上で必要な知恵・知識があるかないか

正直に言えば、この世界のどこに生まれたかという結果は、人生の最初の段階でいくらか障害として道をはばかるものなりえると考えます。しかしながら、あなた自身が学びを欲し、それに対して真摯に一所懸命望むのであればいくらでも手を差し伸べてくれる人・道は必ずあると思います。

このブログの大きな目的は、自分の日々の学びをまとめいろんな人にシェアして、自分自身の身になるものとして昇華してもらうことにあります。これが今自分のできる貢献であると思うし、自分自身も小さな学びに目を向けることができるので一石二鳥です。

今後も頑張ります。

ありがとうございました!

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