紡ぐ。

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渋谷。

帰国してから約1ヶ月半経ちました。6月の初めから7月の初めまでしばらく東京付近にいて就職活動なるものをしていましたが、中々時間のかかる骨の折れる活動でした。

このブログの投稿を書く前に、もう一つ日本の就活について色々と実際に経験して思うことをまとめていましたが、途中からなんとなくやる気がなくなってしまい、書くことをやめてしまいました。ということで現在ダラダラとこの新しい投稿を書き上げているのです。

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猫カフェ in 東京。

学生生活最後の夏休みを迎え、とりあえず読みたい本をできる限り買っては、のめり込むように読んでいます。帰国する度に、スイッチが切り替わったかのように毎回本を読み漁っているですが、完全に今の自分にとってはなくてはならないものへとなっているような気がします。大きな理由としては、やはりこれらの本は、自分と異なる視点、考え方、知識、経験を短時間で吸収することができるということにあります。特に何か具体的な目標があって、それを達成するために知識を集めているのではなく、もう少しフランクな感じで読んでいるだけでも、世の中の様々なアイデアや構造を理解して、そこから何かしら新しいものを生み出すようなきっかけになっています。

新しいことを知ることは、同時に知ったことによって自分がさらに何を知らないのかということを気づかされる機会にもなります。まさに「無知の知」を知るという感じでしょうか。

何れにしても本は、世の中の理を知る上で人間一人が、その人の人生のみでは体験しえない経験を学び、知ることができる最上の資源だと思います。しかも書籍の中に存在する筆者の知識・経験は、その趣旨が最も理解しやすく、興味を引く順番で構成してあります。そこには言語化された他者の経験が綺麗な流れとして存在します。

ではなぜこの平面的な一つ一つは異なる単語ごとで形成された文章が美しく感じるのでしょうか。それは、思考の整理学の著者である外山 滋比古氏によると「不連続の連続」の作用に他なりません。

ではこの「不連続の連続」とは一体何を表すものでしょうか。最も簡単にこの言葉を言い換えると、論理的な思考というものに行き着くと思います。いわゆるクリティカルシンキングというものです。クリティカルシンキングとは、英語での文章構成をする際に最も基本的で重要視されるポイントであります。この観点は特別文章を書くことだけに縛られることはありませんが、説得力のある思いや考えを整理して伝えたい時に非常に役立つものであります。

話を戻して、ライティングのクラスにおけるクリティカルシンキングに目を向けると、個人的な感想としては多くの学生がこの言葉に困惑して、なんとなく要領を得ないまま数多くの文章を書いているように感じます。

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ジュースの一つ一つの箱達が、Chico Stateの名前へと繋がる。

このクリティカルシンキング、または不連続の連続の仕組みを理解するには、どのようにパソコンの画面上の写真や実際に印刷された写真が構成されているのかを比較対象として考えるといいと思います。写真は、ある程度の離れた距離から見れば日常生活のある一部分を完璧に切り取った様子を映し出していることを理解できます。しかしながら、その細部までをはっきりと映し出している写真は、何によって構成されているのでしょうか。それは、虫眼鏡などの拡大レンズを使用して、その写真を非常に近距離から観察した時のみ確認できる赤や青、緑などの基本的な色の小さな集合体によって現実世界の様子を写しているのです。

ここで、とても画質の低い写真を思い浮かべてみましょう。画素数の低い画質というのは、拡大すれば拡大するほど何を写しているのか全く理解できなくなることは、容易く想像できることと思いますが、画素数の高い普通の写真と差し比べても明らかに写真の映し出す内容が鮮明でないことも想像できます。しかし、その画質の低い写真を構成する色については、こちらの方が確認できます。

さて何故にこの写真の例を、文章構成に関わるクリティカルシンキングを理解するために持ち出したのでしょうか?理由は、簡単です。写真を構成しているのは、前述の通り、小さな色の点です。これら一つ一つは、個々の色を持ち合わせており単体として存在しています。いわゆる「不連続」の状態です。しかしながら、これらの微細な点々を一つの大きな塊(写真)として理解した時、この不連続は、「連続」の状態となり、新たな意味を持ちます。

画質が低ければ、その写真の意図する景色や人物がはっきりと伝わらず、逆に高ければ、その意図を明確にかつ詳細に伝えることが可能になります。それぞれの単体である色の点が、意味をなす配置に正確に、そして詳細に並ぶことでこれを可能にするのです。

翻って、論理・文章構成にも同じことが言えます。何かの議論的な相手を説得しようとする文章を書くにあたってまず明確な結論が必要になります。写真でいうところの映し出されている対象です。さてそれを明確に述べるために何が必要か。それは、文章を持って達成しようとする目的を支えるための根拠や証拠にあたります。写真でいうと、これはそれぞれの色の点でしょう。それぞれの根拠は、不連続の状態です。書く内容自体の背景情報を鑑みなければ、全く関係のない証拠であるかもしれません。しかしながら、文章を説得力のあるものに仕上げるためには、これらの個々の根拠の点と点を線で繋ぐように、配置し、詳細に書き出すことでそれは、不連続を連続という形として昇華します。多角的な視点から、一つの統一された文章に仕上げることこれがまさにクリティカルシンキングの神髄であり、不連続を連続させるという意味であります。

ある文章や本を読んでいて、内容が全く頭に入ってこないことを経験したことはありませんか?具体的には、英語の文章を読んでいて単語が分からないので、わからない単語が出てくる度に一々辞書で調べてから読むようにすると、単語は理解できるのに文章自体が全く理解できない。

しかし、思い切って辞書引くことを止め、文章を最初から最後まで通して読むと意外にも、文章の大意は理解することができる。これもまた「不連続の連続」という現象を端的に表しています。

文字一つを取っても、単語一つを取っても、それらは究極的に言えば、単体です。いくら長々とした文章の中に埋もれているとしてもその事実には変わりありません。その文章の中で、それらの単語が配置された位置・状況によってそれらの単語は、全体の意味を生み出すために作用します。文章を読むときに、目の動きを止めずに一つ一つの単語を残像として認識し続けることで、単体同士である単語のつながりを読み取ることができます。理解し易い文章構成になっているからこそこの「不連続の連続」は、確立されます。

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夢を紡ぐ。

これまで書いてきた内容は、自分なりに先ほどの述べた「思考の整理学」という書籍を読んだ上で自分なりに整理し直し、書きまとめたものです。この不連続の連続という考え方は、単に論理を構成するためのものだけではなく、もっと多くのことに適応されるような気がしています。

例えば、イノベーションは、異なる二つ以上の領域の分野が混ざり合い、飛躍的なシナジー効果を発揮する時に生じます。これはまさに、不連続であった領域が、その連続として変化している明確な状態だと思います。

本を読み、自らの経験を通して、できる限り多くの知識を学ぶは、まず第一に重要です。しかし、今思うに、それよりもさらに重要であるのは、学び身に付けた知識を如何に繋ぎ、紡ぎ、新たなものを生み出すかということだと感じました。

 

学び出し、紡ぐこと。

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