デザインで世界を良くするとは。

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まだ先は長い。

先週末に最後から二番目の学期を終えました。今学期中がデザインの歴史というクラスを受講していました。このクラスの講義内容自体は全く好きではなかったのですが、クラスを取るにあたって購入したMeggs’s History of Graphic Designという教科書が思いの外、興味深いものでした。正直行ってこの本を読み始める以前は、昔のデザイナーのことを勉強することの重要性はほとんどないと考えていました。だただた過去に流行ったその当時のデザインのスタイルを学ぶことに何の意義があるのかと、そう思っていました。しかしながら、この本を通して自分の考えが完全に間違っていたことに気がつかされました。

上にあるTEDのスピーカーは、ジョン・マエダ氏です。マエダ氏は、以前マサチューセッツ工科大学のメディアラボで教授やロードアイランド・スクール・オブ・デザインの大学長など数々の有名な教育機関や他ビジネス組織などで貢献をされてきた方です。これまでマエダ氏によるいくつものスピーチやプレゼンテーション、書籍などに目を通してきました。その中でも、繰り返し強調されていることは、デザイン・テクノロジー・ビジネスということなるジャンルの存在がどのように共存し、協調しあうのかという点と、その流れに伴うテクノロジー産業内でのデザイナーの需要の上昇という観点でした。

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モリサワポスターのパロディー(部屋のサイン)

デザイナーとしてのキャリアを積むべく現在大学に通っている自分自身にとっては、マエダ氏の強調する論点はとても興味深いものがありました。専攻名としては「グラフィックデザイン」という名前の下勉強をしていますが、自分の中の「デザイナー」という定義がものすごく曖昧で不確かなものになっています。この不確定的な定義を持ってしまったという感覚は、何となくですがマエダ氏のスピーチ等を繰り返し聞いているうちに正しかったのかなという感覚になりました。

インターネット、ラップトップ、様々なソフトウェアビジネスのクラウドサービス化に伴い、多くの人が日常レベルで色々なテクノロジーに触れる機会が増えてきました。今では個人個人(自分も含む)でPhotoshopやIllustratorなどの画像編集アプリやWIXSやSquareSpaceといったいわゆるDIY (自分でやる)というトレンドを促進するプラットフォームなど数多くが存在します。こういったツールの数の上昇傾向は、これまでの見た目を良くするためだけのデザイナー(アーティスト)から仕事を奪っていうく状況を作り出しています。

マエダ氏のスピーチを初めて見つ出して聞き入っていた時は、これからの「デザイナー」の役割の拡大という内容き高揚していました。しかしながら、同時にこの「デザイン」が視覚的な美しさだけでの意味でのデザインと同じ土台に乗せられて話が進んでいる状況に困惑しました。次第に自分の中の「デザイン」の意味合いが非常に曖昧であることが原因で、頭の中をこんがらがらせているのだということに気が付き、そこから理解を深めるための終わりのない読書を最近していました。

そんな中、ポール・ランドによるデザイン思考という本を読みました。ホール・ランドは、世界で最も重要なデザイナーの一人で、アメリカにおけるモダンニズムとコーポレートアイデンティティ・デザインの先駆者としての功績を讃えられています。このデザイン思考は、ランドがまだ若い頃に書かれた本ではあったのですが、彼の推敲され、極限までに磨かれた文章とデザインに対する哲学は、彼が非凡なデザイナー、教育者、哲学者であったことがうかがえました。

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ポール・ランドのデザイン思考を読んでの感想(ポスターで)

如何なる形式の視覚的意思疎通の技法は、外観と機能性の体現であるべきであり、美しさと有用性の融合であるべきである。

「優れた設計図・レイアウト」を生み出すためにデザイナーがすべきことは、関連性のない要素を無作為的に見た目に良い配置をすることだけであるということは、グラフィックデザイナーの役割に対する誤った認識である。ここで暗示れているのは、このようなデザインは、単にこれらの要素を何かが起こるまで動かし続けることで達成されるかもしれないということである。最善の状況では、このプロセスには、不確定要素に対する時間のかかる挑戦と失敗の反復と認識されるかもしれないが、最悪の場合には、計画や使令、規律に対する無関心とも取られかねない。

上の2つの引用文は、ランドのデザイン思考の中で最も共感できた内容です。

ランドの本から学んだことで最もデザイナーとして重要だと感じたことは、デザインをするに際して、取り扱っている内容・プロジェクトと用いる視覚的要素の関連性を理解し、その判断がその状況下で、どのような意義があり、どのような実用性があるのかを考慮しなければならないということでした。何かをデザインするに当たって、見た目に美しあるべきではあるけれども、もしもその解決策自体が扱っている内容と全く関係がなければ、微塵もデザインの意味がないということです。

ランドは、価値があり、実用的なデザインを生み出すには、デザイナーは何かしからの心理的なプロセスと請け負った仕事内容の理解を状況に応じて、確実に行うことが必要であるの述べました。おそらくここでは、優れたコミュニケーションを駆使することの重要性を理解することでランドのように優れたデザインを実現できるのだというようなことを言っていたように感じました。何かしらの精神的な処理というような曖昧な表現を用いた理由としては、彼の生きた時代には製作したビジュアルデザインの解決策としての効果が実際にどれほどであったかという統計的結果を集計し、その後の調査や実行に反映できる技術が存在しなかったことが考えられます。それを踏まえた上でも、デザイナーはまずコミュニュケーションをそつなく確実に熟せる能力が大前提としてあることを理解しました。

現代社会は、誰でもテクノロジーの恩恵を享受することができます。マエダ氏が何度も述べていたように、テクノロジーはこれまで一部の人々が開発し、実装していたものから、誰もが使用する生活の一部・ライフスタイルへと変遷してきました。こういった状況下において、デザイナーの重要な役割が昨今急激に注目されてきています。興味深いことに、マエダ氏の強調するデザイナーの役割は、ランドが信じた美しさと実用性をつなぐというデザイナーの存在価値と共鳴します。もしもデザインが、単なる個人表現の延長線上の芸術であったとしたら、すでにこのテクノロジーの発展した社会から職業として消滅していたことでしょう。しかしかながら、実際に消滅することなく、様々な問題を解決するためのプロダクトやサービスに人間らしい感情や共感といった価値を加え、美しく実用的な解決策を提供することのできる存在であるからこそデザインの価値が再考されだしているのではないかと強く思います。

じゃあ自分は何になりたいのか。

自分なりのデザインの価値を見出せたいま、自身を「グラフィックデザイナー」として定義することは正直不十分であると感じます。まさに必要な条件ではあるけれど、十分な条件は満たせていない感覚です。これまで見つけたものの中で、一番近いと感じた名前は「multidiciplinary (interdiciplinary) designer」です。意味的には学際的なとか多分野にまたがるとかそんな感じです。一つのことに縛られて、それしか出来ないないなんてことは性に合わないし、興味のある分野での問題解決にデザインを役立てたいと感じている今の自分には、しっくりとくるものがありました。これから先は、多くのクライアントの問題や自分から新しい問題提起を行い、を々なチーム環境・役割の中で活躍していくこと念頭に行動して行きたいと思いました。

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