California State University, Chicoをコミュニケーションデザイン・グラフィックデザインの学位で卒業しました。卒業クラス全体と学部から一つずつ賞をいただいた結果が、この卒業式の写真のメダルの正体です。三年間で卒業するというNICを修了した時点での予定通りでアメリカでの大学生活を終えることができました。最後の学期は、これまでと比べ物にならないくらいとても多忙なセメスターでした。ほぼ毎日ラボに深夜まで残って勉強をしていましたが、意外とそれほど嫌いというわけではありませんでした。
振り返ってみてやはり自分自身の中で興味深かったことは、最終的に自分がこれほどデザインという分野にのめり込むことができたということでした。実際にメジャーの授業を取り始める前から持っていたデザインに対する考え方というのは、あながち間違えてではなかったという風に思っています。最初は自分もアートとしてのヴィジュアルをデザインと捉えがちな間違った視点に目を取られてしまいました。しかしながら、最終的な自分にとっての、実際に業界で活躍しているデザイナーにとってのデザインとはなんなのか少し確実に理解を深めることができたと思います。
歴史的に偉大なデザイナーであるMassimo Vignelliによって書かれたThe Vignelli Canonとの出会いはこれまでの自分の中でくぐもっていたデザインに対する疑問を払拭してくれました。Vignelliのデザイナーとしての功績の中で最も勉強になったのが、彼がデザインをアートという説明のつかない抽象的な分野からの乖離を推し進め、一つの実用的専門分野へと確立を提唱したことでした。彼のプロジェクトは、傍目には「誰にでもできる」ぐらいにシンプルで無駄がない外見をしています。しかしながら、この「誰にでもできる」というのがミソで、「誰にでも理解できる」=「誰でも学ぶことができる」というデザインにおいて最も重要な基本要素を的確・綿密に実践しているのです。デザインのコアはここにあると思います。
思い返せば、2年前に本格的にデザインの授業を取り始めたての自分は芸術家でもなければデベロッパーのどちらでもありませんでした。完全に特になんの取り柄もない普通の学生だったと思います。しかしながら、そんな自分が最も興味を持って、力を注いだ勉強は、デザインの基礎を一つずつ正確に学び、実用に生かすということでした。視覚的階層化、色彩理論、ゲシュタルト心理学、タイポグラフィー、グリッドシステム、これらの一つ一つがヴィジュアルデザインにおいての基礎中の基礎であり、的確に使役することができればより効果的な成果物を生み出すことができます。これは単なるスタイルや流行りではなく、人間の視覚的・知能的能力の研究を基本に創り上げられたものであるからこそ重要なのだと思います。
自分がデザインの勉強をする上でなぜ先で述べた事柄を限りなく重視した理由はおそらくVignelliに心の底から共感したことと関連づけることができると思います。それはなぜなら、基礎というのは一つ一つが自分にとっても他人にとっても論理的に説明がつくものであるからです。
類似した例で言えば、これまで書いたデザインに関する全てのことは、文章を紡ぐこととコンピュータープログラミングをすることに同じ尺度で置き換えることが可能です。作文もコーディングもそれぞれ言語があり、基礎となるルールが存在します。これらを用いることで文章は、読み手が書き手の意図を違いなく理解することを可能にし、プログラミングはコンピューターに、プログラマーが実行してほしいと思うタスクを実行させることができます。もしもその基礎となる部分がおろそかになっている場合は、正確なコミュニュケーションをとることができなくなってしまいます。
自分のなかでこの類推を思いついた時に、なぜ自分がこれまで文字に起こして書くこと、コーディングをすることになんら抵抗なく楽しむことができたのかということに説明がつきました。基本的に全部デザインなのだと。自分以外の人に複雑に作られたサービスやシステムを解りやくす、使いやすく、楽しく。これがデザインなのだとなんとなく自分の中で定義をすることができました。
デザインに関してもう一つ重要なことが、常にあらゆる事象の関連性を考慮することにあります。先ほど述べた「複雑に作られたサービスやシステム」は、全て繋がっています。特に意識せずに生きていると毎日目に付く問題は、それ単体として存在しているように感じられます。しかしながら、結局のところ表面化している問題というものは、もっと複雑で大きな枠組みの中から出てきた問題であることがしばしばです。例えば、体調が悪くなるときというのは大抵色々な負担が連鎖的に重なって出てきます。
1つのポスタープロジェクトがあったとします。このプロジェクトの様な単発的なものは、扱う情報量も少ないので、それらの関連性に対してそこまで注意を払う必要はありません。しかしながら、大きめの印刷物になると関係性を考慮した計画はより大きな意味を持って来ます。例えば、300ページにも及ぶ教科書などの場合は、チャプターごとのタイトルの配置は同じで一方、内容ごとで明確な差異をつけなければいけません。読み手が、一瞬で理解出来るシステムを作ることが重要です。
デジタルサービスをデザインする場合には、印刷物の様な実体のかたちとしては保存仕切れない量の情報を扱うことになります。加えて、印刷物にはない、情報が瞬間的かつ相互的に変遷し続けるという大きな違いが存在します。これは基本的に個人で対応することの出来る範疇を超えている場合が多く、チームで情報に整理をすることが前提になってきます。この時にデジタルサービスの全容を視覚化したコンセプトマップ(ワイヤーフレーム)などのツールを用い、チーム内での情報共有はもとより、変わり続けるシステムの修正に役立てることができます。
長々と書いてはきましたが、正直今のところようやく自分がデザイナーとしてどうなりたいのか、自分にとってのデザインが何なのかが少しわかってき始めた段階です。幸いにもこれからサンフランシスコのDubberly Design Officeでそれについてさらに詳しく勉強して、実践する機会を与えてもらいました。この経験がどんな形で自分の未来に昇華されて行くのか楽しみなところです!
P.S.
Here is the link to my portfolio: akiramotomura.com